日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2017-09-12から1日間の記事一覧

続々「新発見」の光秀書状の原文と書き下し文を載せてみた

書状の宛所(宛先)の土橋重治について高木昭作監修、谷口克広著『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館、1995年初版)255頁によると 生没年不詳。平之丞、平尉。紀伊名草郡の土豪で雑賀衆の一人。兵次守重の弟という。本願寺に与し、播磨三木城の別所長治に…

続「新発見」の光秀書状の原文と書き下し文を載せてみた

ニュース上ではやたら「新発見」と騒いでいるが、正確には原本の発見と言うべきところだ。実際知られた史料であり、奥野高廣『織田信長文書の研究』に収載されている。藤田達生氏は、足利義昭による「半済」「鞆夫」などの諸役を徴収していたことから「鞆幕…

「新発見」の光秀書状の原文と書き下し文を載せてみた

引用は奥野高廣『増訂織田信長文書の研究(下)』(吉川弘文館、1970年初版、1988年増訂)pp.298~299 ただし、闕字、平出は無視する (包紙) 「 雑賀五郷 惟任日向守 土橋平尉殿 光秀 御返報 」 尚以、急度御入洛義御馳走肝要候、委細為上意、可被仰出候条…

もし六角氏領内で不作になったら、農民はどうすればよいのか?

一、損免の事、庄例・郷例ありといへども、先々の次第棄破せられおわんぬ。自今以後においては、所務人・地主・名主(ミョウシュ)・作人等立相ひ内検せしめ、立毛に応じこれを乞ひ、下行あるべし。もし立毛これを見せず刈り執り、損免申す族これありといへ…