日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

石田三成島津分国検地掟写を読む その7

第8条を読むまえに「公方」について考えたところを述べておきたい。これまで秀吉、あるいは島津と個別の領主を考えていたが、どうも両者を含む総称ではないかと思えてきた。

 

というのも公方には「おおやけがた」という読みがあるように本来は「公的」なものを意味していたが、時代によって朝廷やその周辺に属する公家たち、武家政権の長である将軍、およびその周辺、さらには荘園領主など、上級にあるものを下位のものが「公方」と呼ぶ例が見られるようになったからだ。

 

近世以降は公方はすなわち将軍を指すようになるが、公儀になるとこれまた複雑である。藩主を「公儀」、幕府を「大公儀」などと区別するときもあれば、単に「公儀」と呼ぶ場合もある。

 

 

 

百姓から見て「公的な」位置にあたる領主全般を指すというゆるやかな意味で理解したい。したがって「公方」という史料用語をそのまま用いることにする。

 

一、寺社侍之居屋敷、又町屋敷之事、検地を相除分、書立を以相定上其外何も検地可仕事、

 

(書き下し文)

ひとつ、寺社ならびに侍の居屋敷、または町屋敷のこと、検地をあい除くるぶん、書立をもってあいさだむるうえはそのほかはいずれも検地つかまつるべきこと、

 

*書立:箇条書きにした文書。ここではこの文書のこと。

 

(大意)

ひとつ、寺社、侍の居屋敷、および町屋敷のことは、検地帳の記載からはずした。そのことをここに(この書面で)明記したので、そのほかの土地はいずれも検地しなさい。

  

 

 ここで寺社、侍、町にある屋敷地は検地帳から除くことを明記している。これまで見たように村々にある屋敷地については細心の注意を払うように命じているのと対照的である。

 

寺社、侍が住む屋敷地、町は検地の対象外とされているので、検地の対象は村々、浦々や山村だったことが分かる。

 

お知らせ 日銀貨幣博物館の企画展

日銀貨幣博物館で企画展をやっているというニュースがあったのでサイトをのぞいてみた。

日本銀行金融研究所貨幣博物館 - 19世紀日本の風景 錦絵にみる経済と世相

 

 

過去の企画展の図録や古文書の写真も無料でダウンロードでき、貨幣史や経済史の専門家による記事も読み応えがあるのでとても勉強になる。

 

織田信長の旗印が永楽銭であることは有名だが、そういった通貨圏についても解説しているので、必見のサイトだ。

 

ところで、錦絵目録33頁4番目に「夫婦合躰欲の獣」というおそろしいものを見つけてしまった。できれば画像を見たいところだが…残念ながらアップされていなかった。

石田三成島津分国検地掟写を読む その6

今日は第7条を読む。

一、漆之事、是又其村々て大形見斗、米つもり成共、又銭つもり成共、但シうるし成共相定可書載、是屋敷て無之所在之うるし事にて候、畠在之うるしも畠主進退たるへき也、上分ニハ成ましき也、然うるしの木在之屋敷畠、上畠て可在之事、 

 

(書き下し文)

ひとつ、漆のこと、これまたその村々にておおかた見計らい、米つもりになるとも、または銭つもりになるとも、ただしうるしなるともあい定め書き載せるべし、これは屋敷にてこれなきところこれあるうるしにて候、畠にこれあるうるしも畠主進退たるべきなり、上分にはなるまじきなり、しからばうるしの木これある屋敷ならびに畠、上畠にてこれあるべきこと、

 

其村々:踊り字「々」は引用書では「二の字点」。

 

屋敷ニて無之所在之:この部分は言い回しが不明瞭だったので、長浜市長浜城歴史博物館石田三成第二章』(2000年)にある写真(28頁)で確認してみたがこの通りだった。ただ、この文書自体が写であり、写の作成者による誤写の可能性は残る。原本の発見が望まれる所以である。

 

*進退:土地、人間、財産などを自由にあつかうこと。のち「シンダイ」に転訛し身代の字が当てられるようになった。

 

*上分:広くは土地を下地というのに対して、そこから上がる収益をいうが、狭くは年貢のうち神仏(寺社)へ納めるものを指す。これを元手に寺社は貸し付けを行っていた。ここでは、領主と作人のあいだにいる地主への小作料や地代のことと思われる。

 

*上畠ニて可在之事:上畠の石盛で検地帳に記載しなさいという意味。

 

(大意)

 

ひとつ、漆のこと、これもまたその村々の概要を調べたうえで、米を基準にしても、または銭を基準にするしても、あるいはうるしを基準にしてもいいからいずれかに決め、検地帳に記載しなさい。これは屋敷地ではないところにあるうるしとして扱いなさい。畠にあるうるしも畠主がすべてを決めることである。上分にしてはならない。うるしの木がある屋敷や畠は上畠として石盛を記載しなさい。

 

ここでは漆の木を屋敷地内や畠にある場合とそうでない場合に区別し、年貢の上納基準を定めるようにと命じている。前者の場合は「上畠」なみとし、後者の場合は米(石単位)、銭(貫文単位)、漆(律令制下では本単位だが、この頃は未確認)いずれでもよいから基準高を検地帳に記載せよ、としている。

 

もうひとつ注意したいのは、上分にはするなと命じている点である。地主の取り分にせよ、寺社への上納物であるにしても、領主と直接の耕作人以外に土地から上がる利益を配分するな、ということになる。

 

裏を返せば、そういった利益が様々な権利として存在していたことになる。

石田三成島津分国検地掟写を読む その5

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

 引き続き第6条を読んでいく。

 

 一、茶ゑん之事、年貢をもり申間敷候、検地仕候上ハ、公方へ上り可申物ニあらす候、但ちやゑん在之屋敷並畠、検地之時少心持あるへき事、

 

(書き下し文)

ひとつ、茶園のこと、年貢を盛り申すまじく候、検地仕り候うえは、公方へ上り申すべき物にあらず候、ただし茶園これある屋敷ならびに畠、検地の時少心持ちあるべきこと、

 

*もり:「盛り」のことで、人と、役割・任務・分担費用などの事物との対応関係をつくることの意。

 

*少心:仏教用語で注意深いこと、細かに心をくばることの意。

 

(大意)

ひとつ、茶畑のことは年貢を割り当てることのないようにしなさい。検地を行い(検地帳に記載しても)公方へ納める物ではない。ただし、茶が植えてある屋敷地や畠などは検地の際、(見落としがないように)十分に注意しなさい。

 

長浜市長浜城博物館『石田三成第二章』(2000年)71頁によれば文書の原本はいまだ発見されていないという。

 

茶畑は年貢を免除するとあるが、後半部分では見落としがないようにせよとも言っているので、百姓の好き勝手にやらせておけ、ということではないようだ。検地帳には記載して、時が来れば納めさせる意図もあったのかも知れない。いずれにしても、管理下に置くという点では一貫している。

 

ところで、いままで「公方」を秀吉のことと解釈してきたが、島津家を指すのかも知れないという気もしてきた。近世では「犬公方」でおなじみのように将軍のみを指すが、中世ではもっと広い概念であり、荘園領主も公方と呼ばれてきた。そういった事情も考えると島津と解釈した方が自然だと思われるが、これは保留し、はっきりするまで公方という用語をそのまま使いたい。

石田三成島津分国検地掟写を読む その4

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

 

続いて第5条を読んでいく。

一、くろかねの事、是又見斗、年貢つもり成共、米つもり成共、可仕候、公方へ上り物候間、但ほり申をも迷惑不仕様念を入、つもり可申付事、

 

(書き下し文)

ひとつ、くろがねの事、これまた見計らい、年貢つもりになるとも、米つもりになるとも、仕るべく候、公方へ上り物に候あいだ、ただ掘り申すをも迷惑仕らざる様に念を入れ、つもり申し付くべきこと、

 

 

*くろかね:くろがね、つまり鉄のこと。「こがね」が金、「しろがね」が銀、「あかがね」が銅。

 

*見斗:「ミハカライ」と読む。『日本国語大辞典』では「計」(ハカリ)から転じたものとしているが、本来「斗」と「計」は別の文字だがくずすとよく似ているため混用されたと考える人もいる。

東大史料編纂所『電子くずし字字典データベース』でくらべてみる。

 

「計」のくずし字

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「斗」のくずし字

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 東大史料編纂所のデータベースはこちら。

【データベース選択画面】

 

 

「計」の言偏部分を極端にくずすと、「斗」の点ふたつと区別がつきにくくなる。「一石弐斗」などの場合はそのまま「斗」と、「見斗」などのときは「計」と区別して翻刻する場合もある。

 

*つもり:見積もり

 

(大意)

ひとつ、鉄の事、これもまた見積もった上で、年貢として見積もるとも、米で見積もるとしても、正確を期すようにしなさい。秀吉様へお納めするものであるから、単に掘って(公方へ)迷惑をかけないように念を入れ、見積もりを命じなさい。

 

 

砂鉄が取れる場所での規定であるが、「年貢つもりになるとも、米つもりになるとも」の部分がやや不明瞭である。ここでは年貢として砂鉄で納めるか、その代替物として米で納めるかという意味で解釈した。そしてやはりそれは「公方」つまり秀吉へ納めるものであった。ここでも闇雲に採掘せず、限度をわきまえるようにと注意している。